「詩と絵の対話」

                       しろねこ社主宰
                 Painter kuro(Kiyoto.H)


詩と絵の対話を語る前にまず僕にとっての「詩と絵の対話」の定義を明確にしたい。

画家である僕にとって、「詩と絵の対話」とは、一篇あるいは複数の詩から絵を産み出す作業に他ならない。まずそれを前提にしたい。

しかし、それは物語の話に応じて語句を拾い具現化する一般的な挿絵(これは例えば詩に対してであっても同様だが)や、文人が絵筆をとる南宋画のようなもの(本人が絵を描いているのだから、対話なんだが自己問答だろう)ではない。

もっと哲学的なものだ。

「芸術がその本質において「詩作」であるとすれば、それは「作品」における「抗争」にあえて臨み、そこに留まろうとする言葉である。
「詩作」の本質は、それが語りえないものを切除することで理念的な意味の体系へと凝固するのではなく、むしろそのような語り得ないものへの敷居に留まり続けるという点にある。
言葉とは本来語るものであるにもかかわらず、その言葉が語り得ないものへのベクトルに苛まれているとすれば、「詩作」の言葉とは、自らの挫折へと方向付けられた常軌を逸した言葉なのである。
しかし存在の真理はそのような常軌を逸した言葉である「詩作」を通してこそ、われわれに明け渡される。」
(ハイデカー 芸術作品の根源より)

ハイデカーは、ナチズムに加担したりしてあまり好きではないのだが、この「芸術作品の根源」は良く読む。

で。

この存在の真理の明け渡し作業こそが、僕にとっての「詩と絵の対話」の定義であり、その存在の真理を絵にすることが(作品化することが)僕の芸術に他ならない。

だから、僕は詩を前にしていつも詩の中の存在の真理をひたすら探している。
それは、たった一篇の詩で見つかる時もあれば、全編読んでも何回読み返してもなかなか見つからないこともある。

それは突然に風景として僕の目の前に現れることもあれば、色として線ととして僕の周りを侵食して来る場合もある。あるいは過去自分が経験した何かの一シーンとして目の前を映像のように流れていることもある。

弊社刊、木村孝夫著「私は考える人でありたい」の表紙絵を描くに際しては、非常に苦しんだことを覚えている。
2011年の東北大震災を取り上げたこの詩集は、福島在住の詩人木村孝夫さんの詩集である。

そして僕もまたあまり公表はしていないが、偶然にも2011年3月11日に福島にいて被災した。
この話をお受けした時にだからこそこれは僕がやるべき使命であり、僕になら描けると意気込んだものである。

木村さんの真摯な叫びは、冷静な指摘は僕の深い共感するところだった。

だが存在の真理は?

存在の真理はどこにある?

何回読み返しても僕にその訪れがないのだ。

僕はやむを得ず「詩と絵の対話」を経ない絵を表紙絵として木村さんに提示した。それは実に良い絵だった。木村さんも喜んでくれた。しかし存在の真理の明け渡しを経ない絵は僕にとって「芸術」ではない。良い絵であっても作品ではない。

悶々としていた。

ある日突然にそれはやって来た。

雪が降っていた。福島原発メルトダウンの噂が郡山の町にも広まっていた。
空はどんよりと暗く小雪が朝から止むことなく舞っていた。
僕は自転車で4号線を走り黒磯に出ることを決意していた。
(道路は寸断され、検問もあり、なぜか車で福島を出ることが不可能だった。飛行機はべらぼうに高かった)

午前10時。自転車を4号線に乗り上げた時にふと空を見上げた。
「ああ、こんなに雪を浴びちゃってさ」
服に積もった雪を払い、誰に言う訳でもなく呟くと僕は自転車を漕ぎだした。

僕は忘れていたんだ。

白河に着いた時だった。もう辺りはすっかりと闇に覆われ、まるで人気の感じられない町は、静かに静かに息を潜めていた。雪はもう止んでいた。

「存在の真理」は僕の目となり、その時の僕の見たものを、再び見せてくれたのだ。

四号線の向こう真っ暗なまるで森のような静かな町の闇の中に小さな灯りが、微かに揺れていたんだ。それは、ちっぽけな光だったけれど、暖かくそして優しくて僕はいつのまにか泣いてしまっていた。

これから先黒磯まで先の長い僕にとっての希望であり、東日本大震災により壊滅的な被害を受けた(人々も動物も自然も土地も)全ての未来への微かな希望にも、思えた。

ああ、これを描かねばならない。
これが僕にとって、木村さんから明け渡しされた木村さんの詩の「存在の真理」なのだから。

画像がその表紙絵です。僕の中で「詩と絵の対話」を終えた「作品」です。

詩の「存在の真理」は多分直感のようなものかもしれない。

「ひとつの認識がどのような仕方で、あるいはどのような手段で対象に関わるにせよ、認識が対象に直接に関わり、また全ての思考が手段となって目指すところのもの、それは直感である。」
  (カント 純粋理性批判)

一時、詩人のヤリタミサコさんのギンズバーグの詩の教室にお邪魔して勉強させてもらった。(そのご縁でヤリタさんの著書「Ginsberg Speaks」に僕の絵を使用して頂いたり、一緒に「心にビート」なるイベントを開催したりしていた)

たくさんのギンズバーグの詩を勉強しているうちに、ふと感じた時があった。

「ああ、これは抒情だな」

僕には確かに見えたんだ。夕陽の中、貨物列車の引き込み線が見える丘に座って、デルモンテのトマト缶の汚れた看板を見つめながら膝を抱えて一人で座る男の姿が。第二次世界大戦が終了した後の喪失の世代。

ビートジェネレーションとして、ビート詩はある意味動的に革新的にさえ見えるが、僕にとっては常にビート詩は抒情だ。

ヤリタさんはもしかしたら苦笑していたかもしれないが。

ギンズバーグから「存在の真理」の明け渡しをされたとしたら、僕はいづれギンズバーグの詩を「真理」として絵にすることだろう。
それはあの膝を抱えて沈む夕陽の中ぼんやりとデルモンテの看板を見つめている男の後ろ姿に違いない。


「すなわち「作品」において「真理」がたち現れるのであり、この意味で「芸術」とは「真理を作品へと据えること」に他ならないのである。」
(ハイデガー 芸術作品の根源)

※参考文献 河出書房 ハイデガー
芸術作品の根源 誉田大介










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