詩「澱河」について

                              河津聖恵


「乗興舟」については、前回「髑髏図」について書く中で、少し触れました。「髑髏図」と比較してこう書きました。
「こちらは黒白の対比だけでなく、中間色の灰色が友禅染の技法で絶妙にぼかされ、春の川下りの時空の移り変わりを見事に表現した、幻想的な作品です。」
  京都国立博物館で、「髑髏図」と並べられたこの作品は、圧倒的な墨の黒の美しさで私をつよく引きつけました。その時は空が漆黒なのでてっきり夜の川下りの情景かと思っていたのですが、じつはこの絵に記されている詩の内容から、朝から夕方にかけての川下りの情景だということが 分かるのです。全長11メートルを超える版画巻であるこの作品は、空はどこまでも漆黒であり、陸は白または淡い墨のぼかし、川は月光を反射しているような輝きに見えるような白で表現されています。(白は純白ではなく茶がかっていますが、これは紙が黄ばんだからでしょう。)この作品が昼の川下りを表していると知って、本当に驚きました。昼の情景として見ようと試みても、どうしても頭が混乱してきてしまう。いえ、頭というより知覚が混乱するのです。空と川だけの白黒反転ならばまだしも、その間に陸が挟まれ、岸辺や山襞に友禅染めのようなぼかしが入れられている。見ていると川と陸の区別が次第につかなくなっていきます。さらに岸辺のぼかされた部分には、白抜きの木々や家やよく見ると人まで描かれています。丸い点々で描かれた木々はどうやら桜のようです。しかし雪を被っているようにも見えるのです。つまりこの絵は見る者に昼を夜とみまがわせるだけでなく、桜を雪、春を冬と錯覚させるような仕掛けが施されているわけです。見る者の感覚が、どちらともつかない非決定な状態のまま最後まで宙吊りになるように。とりわけその非決定性を生み出しているのは、墨の美しさと友禅染のぼかしの技法です。見る者に世界を反転させつづけるこの非決定性こそが、この作品に何とも言い難い甘美な詩性をもたらしていると感じます。

「《乗興舟》は大典と若冲との春日中の船旅の記録である。従って、雪もなければ月もない。(略)しかし、百花繚乱の春景色が一面の銀世界に重なり、黄金の落日に照らされた水景が瞬時に月の輝く夜景に転じる発想は詩の常識である。」(池澤一郎「《乗興舟》における詩と画の交響曲」『若冲ワンダフルワールド』所収)

  ここで池澤氏が指摘するのも、やはり「世界の非決定」の自由ということです。「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」という藤原定家の歌も思い出されます。定家の歌では、桜と紅葉の美しさでまず読む者の心を満たしてから、侘しいう秋の夕暮という現実を突きつけてそれらをパッと消す仕掛けです。「乗興舟」の反転の仕掛けもそれと似ています。春日中に共に舟に乗って川下りをした友人大典顕常が、刻々と過ぎていく岸辺の「百花繚乱」の風景を見ながら舟の上で即興で書いた詩句が、それを書いた各地点ごとの中空に、若冲の手によって書き入れられていますが、この版画が春の日中の情景を表していることは、川下りの出発点である伏水(=伏見)の上方の黒い青空(!)に白抜き文字で記されている詩句が明かしています。

「舟程   霽気に逢ひ
     春日   清波に照る」
   (読み方:しゅうてい   せいきにあい  しゅんじつ  せいはにうつる)

  この詩句の意味は池澤氏によれば、「船出は好天気に恵まれ、春の陽射しがきれいな川波に映っている」というもの。この美しい漢詩の響きと意味が、漆黒の空のつづく版画巻を見る者を、不思議な非決定の知覚空間へ旅立たせるきっかけになっています。若冲という絵師は、ただ絵に長けていただけでなく、詩という別ジャンルと絵を組み合わせて「異化効果」を狙ういわばコラボの才能も持ち合わせていたんですね。この詩句から、漆黒の空は春の青空であり、白い川は春の陽射しに輝き、岸辺には桜が満開であるのだという「事実」あるいは「現実」が分かります。しかしそう頭で分かったとしても、空を塗りつぶした墨の黒さと、それと対置される川や陸の白さの美しさに惹かれつづける鑑賞者は、これが冬の夜であるという感覚をどうしてもぬぐうことができない。だから旅の終わりまで春と冬がどちらも非現実的なものとなって重なり合い反転しあう、この世にない季節のはざまを生きることになるのです。言ってみればそれは甘美にくるおしい、非在への解放感です。
   昼と夜、春と冬。闇と光。その重層と反転の一瞬に、「真実」は現れるのです。
    旅は、紙面に漆黒の空が大きく描かれて始まります。けれどやがて淀の辺りから、川だけでなく岸辺に友禅のぼかしを入れた陸も輝きだします。まるで陸が光輝く海であるかのように。でも「事実」はあくまで陸です。家々も神社の鳥居も桜も、さらに暫く行けば荷物を運ぶ馬と人も見えてきます。でもところどころ入れられた田圃を表すような白い横線が波に見え、私には陸がどうしても海に思えてしまいます。するとそれに連動して川は岸辺に見えてくるのです。その不思議反転の「真実」の感覚をなぞるようにして書いたのが、詩「澱河」の次の箇所です。

ネオンもなく家の灯もない黒死病の岸辺に
時間の傷として仄白く刻まれていく詩
おのずから淡く三百年を発光する澱河
あるいはそれは桜ふる真昼の河
みずからの夢の底へ沈む世界の陰画が
友禅の夜霧をふいに呼吸し明暗をまし
亡者の城にさしかかるあたり
陸はうっすら空虚となり 河こそは岸辺となる
ここからはもう生きる余地のない反転の甘美だ

「亡者の城」は淀城を指します。「陸はうっすら空虚となり/河こそは岸辺となる」というのは今述べた、陸が輝くことで幻の海としての充溢した空虚感をたたえ、その結果河が幻の岸辺となって見えてくる知覚の混乱を表現しています。
「ここからはもう生きる余地のない反転の甘美だ」には、私がこの版画の美しさにやや感じた不安あるいは不吉な予感をこめています。春に冬を、花に雪を非現実的に重ねることで、この版画には確かに足のつかない「真実」の詩性が生まれていますが、その詩性は、生と死が「生きる余地のない」ほど重なり合い、反転し合い、やがては見る私を自分が生きている「内海」の外、永遠という「外海」と押し出してしまう気がしてならないのです。そしてそれが恐怖でもあり、甘美でもあるのは、まさに詩ではないか、と。
   ところでこの版画に詩を寄せたのは、この川下りを共にした大典顕常です。1719(享保4)年生まれ。若冲よりも三つ年下の、若冲の最大の理解者であり親友でもあると言われる相国寺の禅僧。すぐれた詩人でもありました。若冲が相国寺に建てた寿蔵(生前の墓)の碑文は、若冲という人物を知る上で重要な文章ですが、それを書いたのも大典です。11歳で得度し、その学才を認められ寺内の地位も順調に上っていった大典は、39歳の時に寺を離れ学問や詩作に打ち込みます。43歳で詩集を刊行し、46歳の時には大坂で朝鮮通信使と筆談や詩の贈答を行いました。またこの「隠遁」中に若冲をはじめ様々な文化人と交流を深めていきました。1772(安永元)年に相国寺に戻り、1778年相国寺住持となり、翌年には五山碩学及び朝鮮修文職に任ぜられ、1781年から2年間対馬で任務につきます。朝鮮外交の主役として活躍したんですね。その後天明の大火で相国寺は焼失しますが、その再建や典籍の再収集に努めます。以後も朝鮮外交について幕府にアドバイスしたり、五山の財政再建に尽力しつつ、仏教・儒教・漢詩などの注釈書、そして自身の漢詩文集も多数著します。そして、1801(享和元)年示寂。享年は83歳でした。(『江戸漢詩選  僧門』)
   若冲の親友は、やはり凄い人物だったのだなあと思います。詩人というのは、当時は漢詩人のことを指しますが、大典の詩才の一端は、彼が「藤景和画記」という詩文集の中で若冲の『動植綵絵』のそれぞれの絵に付けた題名と解説の詩は、私は断片的に読んだだけですが素晴らしいと思いました。例えば「老松鸚鵡図」の解説詩に「一松虹臥」とありますが、鸚鵡が止まる松を「虹が臥す」というイメージで捉えた感性は、あまりに鋭敏で驚きました。見えない光をみて、そこに詩のプリズムをあてて的確に表現する天才と言ってもいいでしょう。そしてそんな詩人がそばにいたからこそ、その交感の中きから若冲は、あのような前代未聞の新鮮な絵を描く力を獲得することが出来たのではないでしょうか。
  そんな絵師と詩人が春の日中の淀川を下りながら、その美しさを感じあって生まれたコラボである版画巻『乗興舟』には、二人の画才と詩才が濃密に交わることからかもされる官能性が確かにあります。若冲が大典を密かに恋慕していたかどうかは分かりません(ちなみに小嵐九八郎さんの小説「生きとし生ける物へー伊藤若冲」(『我れ、美に殉ず』)では、そのように描かれています)。けれどこの版画の墨の漆黒の美しさをエロスの発露と捉えてみると、絵は「重層性」「反転」といった抽象的な魅力をこえて、絵師の生身の体温をおびてこちらを引き寄せて行く気がします。そして詩「澱河」の冒頭が生まれました。

ぬばたまの内奥がほころび
冲(むな)しさは月光のように横溢する
夜の河は流れだす
漆黒の空はじつは朝であり
朝の空虚として河はかがやいている
解纜した舟の上で絵師はぬるい春の墨に筆を染めた
河でもあり
河と共に流れるしずかな時間でもあるもの

ちなみに「澱河」は「淀川」のことですが、蕪村の「澱河歌」で綺麗な漢字だなあと思い、この「澱河」を用いました。何かキラキラした夜の銀河のようなイメージがします。
  ちなみに俳人蕪村は淀川の下流に位置する毛馬という村で生まれました。若冲と同年生まれながら、若冲とはまた違った作風の絵を描く絵師でもありました。いずれこの「絵と詩の対話」でも蕪村について取り上げたいと思います。

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