Bridge              


                 (詩と写真) 北爪満喜


広い流れに掛け渡された鉄骨とコンクリートは揺れて
立ち止まると 体は上下に揺すられる
流れる川の上空で娘は浮かぶ

橋の中央が跳ね上がって ここを昔 船が通った
目を細めれば行き来する見えない大小の船の影
車やバスで休みなく震えつづける橋の上 
鉄骨のアーチがくっきりときれいに空に架かっている
無数に斜めの鉄骨がアーチを支えるために止められ
三角の空を雲が行く 三角の梁から鳥が飛び立つ
鉄骨から ふわっと足を離し 胸をはって飛ぶ あれは鳩 
もういない祖母の鳩胸の襟
古い時間の祖母に触れ 鳩になり翼を開いてみる 
震動する橋で上向くと 
ふわり 私は私を外れ みるまに飛翔 舞い上がる 
高みの風は銀に輝き 密集するビル群の上
風を切り眺める高層ビルの 間に東京タワーが光った
赤い鉄塔は少し懐かしい
ふるふると 目の奥で滲み出す 祖母や母との古い暮らし
家の中のまどろみ 団欒 暖かい良く動いた手
祖母は母は 支える 支え続けてきた 
アーチのようなものを日々を
能力はひっそり家の中に閉ざされ幽かにされてゆき 
他の何かになれなかった  

ここにない空に 飛行機が大きくアクロバット飛行する 
ゼラチンの空に うっすらと祖母の声が滲みだす
ちょうど旅行の途中でね 電車で東京を通るとき 
電車の窓から見えたんだよ 飛行機が輪をつぎつぎ描いて 
オリンピックが始まって

東京という地名で祖母と私が重なるただ一つの記憶が去ると 
鉄骨に並ぶ疣のような白いドットを見ながら渡った
並ぶ白いドットには茶色い錆びがギザギザ走って 
霞んで震えてわからなくなる亀裂の走る今この時を
斜めに止められた鉄骨のように 祖母たちや母たちが現れて 
生キ延ビテ、 と叫びを上げて 
娘の橋 橋を支える

 (初出2013年神奈川大学評論第72号「特集アジア新世紀」 )

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  北爪満喜の言葉と写真 

 
   今年の6月、現代詩の世界が閉塞していることについてtwitterで話題になり、評論家や詩人を巻き込んで呟きが沸き上がった。私も次のようにツイートした。
「詩の扉を開けたくて、雑居ビルの通路に詩と写真の展示の許可をお願いして、続けてます。街ゆく人が写真を数枚眺めて最後に一枚だけ詩を読んでくれたら最高だと!いろんな風に扉を開けたらいいと思います。」
 詩を書く者がそれぞれの仕方で詩の間口を開けて、敬遠されていたり無関心だったりする詩を、もっと人々に身近にしてもらう何らかのアイデアを出すきっかけになってくれれば、という思いから、雑居ビルの通路で展示している「通路の詩と写真展」についてツイートしてみた。
 
   詩人なのに写真も撮る私の言葉と写真の経緯を少し話してみたい。
 詩を書くことを大切に続け、数冊の詩集を形にした後で、新しく現れはじめたデジタルカメラで写真を撮り始めた。詩人で写真家でもある詩の先生の鈴木志郎康さんに勧められ、1999年に北爪満喜のホームページ(hp)を開設。ブログの走りのような写真と言葉による「Memories」コーナーを開いたのだった。状況としては次々と性能の良いデジタルカメラが開発されていて、デジタル写真表現も様々に試みられている時期に当たる。多くの人がデジタルカメラで写真を撮りhpを開設し始めた。webが一般の人に身近になり始めていたのだ。webの活気はジャンルをこえて詩の間口を広げてくれた。孤独に詩を書いていた写真家の蓑田貴子さん(東川賞受賞)が、詩を書いているとhpを介して連絡をくれた。hpをリンクし合い、詩の言葉について話しているなかから、2001年には詩人も写真家も互いに詩と写真の両方をそれぞれ作り展示する二人展『覆された鏡匣』を企画し、谷中のギャラリーで開催した。(有り難いことに富士ゼロックス株式会社ART BY XEROXの協賛を得られた展示だった。余談だが面接に行ってみると企業の方が現代詩の知識があり、詩への理解があったことが大きかったように思う。)
 言葉と写真の両方を詩人と写真家の二人とも作り展示する試みは珍しく、写真総合誌『アサヒカメラ』で写真評論家の飯沢耕太郎さんが私たちの『覆された鏡匣』の紹介を書いて下さった。
 
「Memories」に話しを戻すと、日付を付し、写真を一枚載せ、言葉を書くことを日々更新してゆく「Memories」のコーナーは、初めは言葉と写真の日記のような面持ちだった。ほぼ毎日更新をし「Memories」を何年か続けていると、ある日、どうしても詩を書きたくなっていた。その日掲載した写真を〈起点〉にして歩きはじめるような詩を書くことが始まっていった。それは写真に向けて言葉を書くのではなく、写真を背にしてそこから一歩を踏みだし、どこか知らないところまで歩いていってしまう、言葉が記憶やイメージを巻き込んで進み続ける発語になっていった。「Memories」の更新を続けてゆくうちに自分の意識に何らかの運動が起ったというような感じがあった。出来事や日記ではなく、書こうとすると言葉が詩を求めて流れ出した。自分でも思いがけない勢いに出会ったのだった。
「Memories」から一つの詩を紹介したい。2003年 10月6日にはデジタルカメラで撮った観覧車の写真を一枚載せた後に、次の言葉を書いている。10月6日と日付をいれた後、書いた言葉を改行もそのままにして引用してみる。


2003年 10月6日
「回ったら」 
何か考えながら歩いていた。
考えながら歩いるいてるとココデユキドマリデスという声に降られ、
ユキドマリ、ユキドマリと霧につつまれ寒くなる。
先の見えない寒い霧からこまかな雪の結晶が舞い、
そうか冬になったのか、ならばバスに乗ってゆこうと思う。
思いだけは霧のなかでも延びて先を開けるらしい。思いに添って期待をかけると
ここでおかけなさいとでも言うように道にベンチが浮かびあがった。
かけようとすると隣に丸いバス停の表示がみえてくる。
なんだやっぱりバスなら行けるんだ。
バス路線はカラフルに交差する線を光らせる。カラフルな線を見ていると、
道の向こうからやってきたのは、オモチャのように小さいバスだった。
一台、二台、三台と、やってきたバスはみな小さい。
小さくてとてもの乗りこめない。バスがほんとにオモチャなのか
ワタシが巨大になってしまったのか、わからなくて戸惑っていると、
とまどいの耳の戸を叩き、乗れないならツマリトマリデス、と追いかけてくる声がした。
追ってくる声は何だろう。それはツバキトマリデス。えっ。
椿泊ならしっている。前に旅行で行ったから。ひとりの旅で
すこし疲れて、花の名前の町で泊まった。
ワタシは考えに運ばれてこんなところへ巡ってきたのか。
乗れないなら、ここで泊まってみようか。考えを木に留まらせる。
椿の花の木にとめる。気に留めていれば泊まっても、考えを掛け違えることはない。
だから眠ってしまってもいい。
ワタシがもしも巨大なら星が髪の間にのぼって、雲が胸を抜けるだろう。
それは夜のなぐさめだろう。
ゆっくりと霧が晴れるまで、月がのぼって、鳥が飛んで、しずかに季節を回ったら
考えが開く。木の枝で、春を得た椿の花のように。
そしたら、ぽたりと枝から降りて、いちど大地にキスをして、また歩いてゆけばいい。


 ファインダーのないデジタルカメラは撮ることを人の目の高さから解放してくれた。固定された視野からではなく多様に撮って、意図しない新鮮さを探ってゆくことができる。実は人の目は、思ったほど自由に物を見ることができない。
   社会の中で私たちは習慣化した目で見ながら過ごしている。その習慣化した見方や、既成概念に捕らわれた枠から、外れる見え方の映像を得る可能性が、コンパクトデジタルカメラで撮ることに潜んでいる。私は、腕が動き手首が回る範囲の体の動きに添って、できるだけ柔軟に撮ってゆきたい。それは詩の発語と似ている部分がある。あらかじめ分かって詩の言葉を書くことがないように、光なのか、遠さなのか、質感なのか、色彩なのか、対象へのこだわりなのか、状況なのか、その時毎に反応して撮ることは、はっきりとした一つの動機だけではないことが多い。

   撮った写真は、日々パソコンに移し、その日付けのフォルダーに仕舞っていた。パソコン画面でその日カメラに入っていた多くの映像を一枚ずつ見てゆく。それはまだ光の切れ端でしかないが、コレ、と掲載する一枚を決めて、トリミングしたり調整してゆくうちに、それは写真となってゆく。私は詩をパソコン画面で書いている。デジタル写真も同じパソコン画面で選んだり調整したりする。詩を書く者として二つ作業を同じ画面で行うということは大変重要なことだった。詩の発語が引き出した記憶や、思索や、書きたい気持ちが、同じパソコン画面で映像を選び調整する際に関わっていたようなのだ。またその逆のことも起こり、選んだ一枚の写真を介して、詩の発語が運動のように起こってきたのではないかと思える。引用した詩「回ったら」も言葉の展開がどうなるかあらかじめ解ってはいなかった。「Memories」では写真を載せた後、詩を書きたくなって書くと、ほぼ自動筆記のように、考えてもみなかった展開で言葉が出てきてくれた。
 次々と写真を〈起点〉に「Memories」で生まれた詩を集め、2005年には、詩集『青い影 緑の光』(ふらんす堂)を作ることができた。この詩集に納めた全ての詩に〈起点〉となる「Memories」に載せた写真があったけれど、『青い影 緑の光』には(費用の関係で)カラー写真を数枚載せたのみだった。
 こうした作品はhpの他に詩誌『モーアシビ』(編集発行白鳥信也)で継続して発表し現在に至っている。そのような経緯で、詩集『奇妙な祝福』(思潮社)のほとんどの詩にも掲載はしていないが対応する写真がある。
 そして詩の朗読では写真のスライドショーを作り上映しながらのパフォーマンスを多くの場で行っている。個展『記憶の 窓は水色の枠』がYouTubeにあるのでご覧頂きたい。
 https://www.youtube.com/watch?v=e7GS4Lif3mU
 ここではスライドショー『3月の呼吸』(DVD)を朗読している。『3月の呼吸』の詩の英訳は佐藤紘彰氏に協力して頂いた。

  さて、「通路の詩と写真展」に話しを戻すと、2007年から毎日新聞で2年間、月に数回「こころをうつす短歌 俳句」コーナーで短歌俳句とコラボする写真を担当した。それがきっかけとなって、多くの人々に写真を入り口として詩を読んで欲しいと願い、雑居ビルの通路に詩と写真を展示することを頼みに行き、幸いにも許可を得られたのだった。
 2007年10月から銀座三丁目の雑居ビルの通路の壁をギャラリーに見立てて、サニーギャラリーと名付け、「北爪満喜 通路の詩と写真展」として、詩と写真の展示を開始した。file.1「ヒカリのイノリ」は1枚の詩と5枚の写真だった。写真はA3ノビ。写真が大きく、通路では大きすぎて見づらいと気づいてから、1枚の詩と9枚のA3の写真へ構成を変えた。
 
  広告の言葉ではない言葉を街ゆく人がふと読んでくれたらと願っている。広告ではない言葉を読み、もしも気になってしまったら、通路はきっと見慣れない場所になる。日常が破れて、読んだ人の中に別の空間がうまれる。そこは詩の住みはじめた空間なのだ。願いのような祈りのような気持ちで始め、今日まで続けてきて、ついに今年2019年8月でfile.18になった。file.18のタイトルは「浮力」。是非、通路を歩いてご覧になって頂きたい。
 今回はその一つ前のfile.17「しずかに光って」をご覧ください。                                   

北爪満喜(きたづめまき)

前橋市出身。詩集『奇妙な祝福』(思潮社、日本詩歌句大賞奨励賞) 
詩集『ARROWHOTEL』(書肆山田、高見順賞最終候補)、他詩集『飛手の空、透ける町』『青い影 緑の光』『暁:少女』『虹で濁った水』『アメジスト紀』『ルナダンス』。冊子(詩と写真)『月光の音』『MAEBASHI 36.5℃のあたり』『水はわすれている そしておぼえている』。詩と写真スライドショー『3月の呼吸』(英訳・佐藤紘彰)・写真スライドショー『降りてくる朝の光のなかを』。北爪満喜「通路の詩と写真展」常設・file.18(銀座3丁目サニービル通路)。『びーぐる 詩の海で』詩の投稿欄の選者を担当。共同通信時評「詩はいま」3年間担当。『現代詩手帖』2015年度詩誌月評担当。いまは詩誌『みらいらん』コラム「火竹破竹」担当中です。
また前橋ポエトリー・フェスティバル、文学フリマ、東京ポエケット、ヴィジュアル・ポエジー・パリ展参加してます。
2019年7月創刊の詩誌『ハルハトラム』、『歴程』、『モーアシビ』同人。
萩原朔太郎研究会会員。
Twitter @kitazume363

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