古賀春江の詩の海(3)


                                 河津聖恵

シュルレアリスムは、詩と絵の運動としてフランスで始まりました。日本のシュルレアリスムは、当時渡仏していた画家や詩人が彼地で影響を受け、日本で紹介して始まったのですが、フランスとは違う固有な傾向を持つものとして展開していきました。その動因として日本の時代状況や文化的土壌があったわけですが、さらに根本的にはフランス語とは違う日本語というものの言語体系があると思います。

シュルレアリスムが夢や無意識によって、人間の感性を未知な外部へ押し広げようとするものであるとするならば、その夢や無意識と深く関係する言語体系の特徴が、シュルレアリスムに影を落とすのは必然だからです。もちろんシュルレアリスムは言語体系に反発し、それを揺るがそうとするのですが、作品には、殺戮された言語体系の血の匂いがどこかしているはずです。日本とフランスのシュルレアリスムは、とりわけ政治性の点で対極的と言われますが、言ってみればそれは、言語の血の匂いの違いなのかも知れません。そして日本のそれを生々しく私が感じるのも、私が否が応でも日本語の言語体系の中に生まれ、死んでいく日本人だからなのでしょう。

   戦前の日本シュルレアリスム絵画における代表的な画家の一人古賀春江に、私はその「血」の濃厚な匂いを嗅ぎます。古賀の作品もまた、戦前の日本の国家主義の不自由さ、暗さと、(結局は兵器を生み出していく)日本の近代化の偽りの自由と明るさの双方に、深いところで引き裂かれる、というより双方を融合しているように思えます。そしてそれらを融合させているのが、古賀の仏教的資質、輪廻転生の闇の感覚、さらにそれらにもとづく希死の思いだったのではないでしょうか。そしてそのような古賀のシュルレアリスムは、日本人の言わば集合的無意識を感触させるように思えてなりません。

   先述するようにシュルレアリスムは、言語体系と関わります。ゆえにシュルレアリスムにおいて詩と絵は密接に関わります。古賀もまた詩と絵のあいだを生きた人でした。自作の絵と関係する、あるいは絵画的な詩を数多く残しています。その詩はあくまで絵のデッサンだったと言う人もいます。とすれば、詩と絵のあいだを、絵の方に向かって生きたということになるのかも知れません。確かに自作の絵のタイトルの下に書かれたものも多く、そうでないものも、絵の視覚的なイメージをデッサンするように書かれています。けれどそれらはどれも解放感あふれた自由な夢想の展開にはなっていません。物質の重みをかけられている。あるいは主体は水の重みを受ける水底にいて、身動きの出来ないまま苦しく捻れる幻想を見ている。晩年には精神の変調を感じ取れる詩もあるのですが、しかしいずれにしてもそれらは画家が詩人たちとの交流に触発され、自身で模索して獲得したシュルレアリスムの思想に基づいた、古賀だけの斬新なデッサンなのです。

 では古賀のシュルレアリスム詩論とは、どのようなものだったのでしょう。

1930年に美術雑誌に発表された「超現実主義私感」という文章に、それは明確に語られています。例えばその冒頭は次のようです。

「超現実といふ言葉はその発生の地盤そのものが現実である以上、よりよき現実を構成するための一方法としてのみ意義を有するもので、決して字義通りの解釈そのまゝでは無意味であると思ふ。
   芸術の本質は如何なる芸術と雖も本来は超現実である可きである。」

「超現実」は「現実」に基盤を置く。だからこそ、「よりよき現実を構成するための一方法」であるべきなのだー。これは、古賀がその出発点で影響を受けた西脇順三郎の芸術観(「人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)をもって意識さす一つの方法である。俗にこれを芸術 という。」)よりは、古賀が1交流していた竹中久七たちの前衛詩誌「リアン」から大きな影響を受けていることを示していると思います。

「リアン」は佐藤惣之助主宰の「詩の家」に属するフォルマリスム詩人たちが1929年に創刊しました。古賀はまず阿部金剛を介して竹中と知り合い、やがて「リアン」のメンバーと交流しますが、「リアン」が左翼化し理論的にも先鋭化した1932年頃、精神に変調を来して厭人癖が高じ、「リアン」から離れます。そしてそれと入れ替わるように1931年に犬を介して知り合った川端康成との交流を深めていきます。

マルキシズムの「リアン」と新感覚派の川端。病による死の予感が、画家=詩人を、極から極へと導いたのでしょうか。あるいは画家=詩人の中で極と極を結びつけたのでしょうか。(もちろん、「リアン」と川端にも共有するものもあったのでしょう。)

マルキシズムと新感覚派、というより「リアン」と川端康成。両者の影響はそれぞれ古賀の作品にどのように表れているでしょうか。

前者の作品としては、1931年に発表された「現実線を切る主智的表情」(※末尾写真)があるとされます。

「昭和六年九月の二科展には「現実線を切る主智的表情」「朧ろなる時間の直線」「感傷の生理に就いて」の三点を出品した。(改行)この年九月、満洲事変が勃発し、治安維持法が強化され、前衛的な活動は規制、弾圧をうける時代になって行った。古賀の絵「現実線を切る主智的表情」などにも思想的寓意的な面があるとして物議をかもしたといわれる。」(中野嘉一『古賀春江』)

「前者の「現実線を切る主智的表情」という絵は反ファシズム思想性を寓意化したものだという批評もあった。(略)鉄砲を持っているのはギャングで、ロボットは資本主義なのだろうといった解釈は御愛嬌としても、これを天皇制に対する批判とみれば、ことは穏やかでなかったろう。白馬に乗るロボットが柵を乗り越えようとしている。柵の上の白い標的らしきものに、モダンガールの構える銃はねらいをつける。次第に戦時体制をとりつつあったわが国に対する、これは古賀の危機意識を寓意化した作品とみられたのも、当時の世相では決して無理な解釈ではなかったろう。」(同前)

 私もこの絵を見ると、白馬に乗り片手を上げているロボットが、当時の天皇を表しているように思えてなりません。天皇がロボットであるのは、天皇の顔を拝むことさえ許されなかった時代を表現するものかも知れません。速水豊『シュルレアリスム絵画と日本』は、このロボットは、当時ロボットブームであったこととの関係を指摘しています。あるいは、馬に乗るこの「騎手」は、天皇とロボットのどちらとも決定できないように描いたのでしょうか。画家自身のためらいと揺らぎのままに。構図においても、モダンガールの銃口が向けられているのは、馬であって「騎手」ではありません。ロボットも馬もモダンガールも全てコラージュの手法を利用しているのですが、コラージュのまとまりのなさを逆手に取って、画家は巧みに自身がこの絵にこめた意図を、見る者にははぐらかしているのかもしれません。

一方川端康成は、古賀の死の直後に書いたエッセイ「末期の眼」で書いています。

「私がシュル・レアリズムの絵画を解するはずはないが、古賀氏のそのイズムの絵に古さがあるとすれば、それは東方の古風な詩情の病ひのせゐであらうかと思はれる。理知の鏡の表を、遥かなるあこがれの霞が流れる。理知の構成とか、理知の理論や哲学なんてものは、画面から素人はなかなか読みにくいが、古賀氏の絵に向ふと、私は先づなにかしら、遠いあこがれと、ほのぼのとむなしい拡がりを感じるのである。虚無を超えた肯定である。従って、これはをさなごころに通ふ、童話じみた絵が多い。単なる童話ではない。をさなごころの驚きの鮮麗な夢である。甚だ仏法的である。今年の二科会出品作『深海の情景』(※末尾写真)なども、妖麗な無気味さが人をとらえるが、幽玄で華麗な仏法の『深海』をさぐらうとしたとも見える。同時に出品の『サアカスの景』(※末尾写真)の虎は、猫のやうに見えるけれども、そして画材となった、ハァゲン・ベックのサアカスでは、実際あんな風におとなしく見えたさうであるけれども、そんな虎が反って心をとらへたのには、虎の群の数学的構成にもよらうが、作者自らあの絵について、なんとなくしいんと静かでぼんやりした気分で描かうとした、と語ってゐるではないか。」

「虚無を超えた肯定」「をさなごころの驚きの鮮麗な夢」「甚だ仏法的」という表現には、古賀の後期の絵に対する川端の深い共感を感じさせます。「ポオル・クレーの影響がある年月の絵が最も早分りする」とも書いています。川端は、先鋭的な理論に裏打ちされ、コラージュ手法によって現実の美の秩序に対し挑戦するシュルレアリスムの作品ではなく、逝去の年に描かれた「深海の情景」と絶筆となった『サーカスの景』に共感しているのですが、それは死を前にした「末期の眼」をそこに感じたからでしょう。迫り来る死の恐怖や不安の中で描かれたこれら二つの絵に共通するのは、詩人=画家が、宿命に身を任せて落ちていこうとする仏法的な夜の存在です。消滅していこうとする者が見る夢とはこのようなものなのかと思わせられる、寂滅の世界がそこには描かれています。

「深海の情景」のために書かれたと思われる1933年の詩があります。タイトルは「深夜の風景」で、やや違うのですが、絵と詩は明らかに呼応しています。

凡ての物音の絶えた真白な深夜の時間を見給へ
白い時間の風景を見給へ
凡ての現象が真正面に生きて
実に生き生きと躍動してゐる
その表情の美しさ

大きく光を強くした
北極星が遠い向ふ側の太陽と合図をして
海と空が一帯となつて万象を包んでゐる
魚族と鳥類との交歓
星と樹木等の握手
いろいろの昆虫と草叢の小さな花々との可愛い遊戯
だまって動かずに微笑してゐる野道の小石
眠ってゐる人間や色々の動物の会話

それは真っ黒な闇の包囲の中で
表も裏も音がなく
無類の明るさと美しい色彩とに彩られて
此上もない真実を生きてゐる
深夜の風景を見給へ

病による精神の錯乱の中で、これだけの詩を書けたというのは驚きです。最後まで自分のシュルレアリスムの海に目を凝らし、そこに見えてくるものを記しておきたかったのでしょう。

絶筆の「サーカスの像」は、油彩ですが、絵葉書数枚を合成して製作されているそうです。

  中野嘉一は前掲書でこう述べています。

「すでに体力は衰え、バックの地色は手のひらに絵具をつけて格闘するかのように塗りたくったといわれる。制作の途中で、一時帰郷し、帰途発病。しかし古賀は、最後の力をふりしぼってこの絵を完成したのである。「何となくしいんとし静かでぼんやりした気分を描こうとした」(川端康成「末期の眼」)と古賀自身語ったという。(略)生涯、童心を失うことがなかった古賀の、末期の眼に映じた幻想の世界がここにある。あたかも「子供っぽい真剣さ」で幻視の闇に突入し錯乱した、前衛画家古賀春江の痛ましい風貌をみる思いである。」
   
   サーカスで調教されている虎たちの背景は決してでたらめ塗られているのではありません。すでに筆を握れない両手のひらで塗りつけながら、赤や黄や黒系統の色も効果的に混ぜて、何とも言えない不思議な雰囲気の青になっています。これは画家は幼い頃に見た夢の色かもしれません。

一体この色を何と表現したらいいのか。

検索したところ近い色がありました。紅掛空色という色です。かすかに紅がかった淡い空色。染色で、藍で空色に染めた上に紅花で染め重ねると生まれる日本の伝統色だそうです。

この微妙な青は、「窓外の化粧」や「海」にある青とも、同一色ではないですが、その微妙さにおいてたしかに繋がっている。そして第一回で述べた、私が生家で見た紫陽花の流転する青とも、画家=詩人が今も見る夢において、混じり合っているように思えるのです。

以上、とても長く冗漫な論になってしまいました。読んで下さった方がもしいたとしたら、申し訳ない気持です。けれど三回にわたって古賀春江の詩と絵について書く中で、私の中で何か蠢きだしているものを感じています。画家=詩人の生命が、私の中にも分有されてきたのでしょうか。ふと落ちてきた一滴の未知の青が、海のように拡がり出すのでしょうか。

私自身の夢や無意識をひらいていきたいと思います。過去でもあり未来でもあるシュルレアリスムの豊かな可能性に向かって。この今に身をおいて詩を書く自分の水底から、不思議な音がしています。(了)
                                             

「現実線を切る主智的表情」(1931)

「深海の情景」(1933)

「サーカスの景」(1933)

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