「視覚詩は敗戦国と弱小国から:新国誠一から引き継ぐこと」 

                           ヤリタミサコ

私が視覚詩(コンクリートポエトリー、ヴィジュアルポエトリー)と呼ばれる作品を制作するようになったのは、1980年代後半からです。藤富保男が私の詩の師匠なので、藤富の視覚詩の展覧会や、新国誠一や吉沢庄次らの作品を見るチャンスが多く、読む努力が不要な、直感できる面白さとピクトグラム(トイレや出口を表わすサイン表示など)的瞬間性に魅了されました。80年代後半の一般的なテクノロジーとしてはまだパソコンが登場する前で、ワープロ単体機が定着した頃です。それによって新国が使用した写植やハンドライティングを使わなくても文字がプリントできるようになり、自分のアイディアを拡大コピーや切り貼り程度の作業で形にできました。
 
ここで、視覚詩(ヴィジュアルポエトリー)と具体詩(コンクリートポエトリー)の歴史を簡単に書いておきます。具体詩は1897年マラルメの『骰子一擲』1918年アポリネール『カリグラム』の実験から始まり、エスペラント語が世界共通語として夢見られたように、通じ合わない外国語間の意味を超える詩の実験が行われ、イタリア未来派、ロシア構成主義、ダダ、シュルレアリスムなどの前衛運動を経た第二次世界大戦後、世界の通信が回復したときに、各国に同時多発しました。イタリア未来派は直感的スピードを目指し、ロシア構成主義は文字が読めない労働者が理解しやすい図示的コミュニケーションを意図し、スタート時点から読解される意味を超える方向性を持っていました。第二次世界大戦後の敗戦国やマイナー言語の詩人たちは、自国語表現の限界を超えたいと欲し、発信しました(コミュニケーションの欠落は戦争の遠因だったはずだし、マイナー言語は英仏語圏読者に読んでもらえないという弱点を超えたかったのです)。日本・ドイツ・スイス・ブラジル・カタルーニャの詩人たちが意味の束縛から逃れて、音としてサウンドポエトリー、見るものとしてヴィジュアルポエトリーを一斉に工夫し始めました。新国誠一はその両方を世界に発信した詩人です。サウンドでは、オープンリールのテープに新国とピエール・ガルニエが、音声を重ねたり逆回ししたりして作品が作られています。ヴィジュアルでは、漢字という表意文字の特性を絵画的に構成し、世界中の表音文字詩人は漢字の視覚的効果に魅了されました。
 
また、文字文化を支えるテクノロジーの種類によって発想が左右されることは見落とされていますが、文字に対する態度は、手描きなのか活字なのかタイプライティングなのか、によって大きく違ってきます。実際、タイプライターで文字をタイピングできるアルファベット文字圏と、手書き文字文化であるアラビア文字や漢字の文化圏では、文字への感覚が違います。つまり、タイプライティングによって機械的に規則正しく並んだ美が一般的になると、その美を窮屈に感じると破壊衝動が起きて新たな美意識が生まれるわけです。アポリネールの時代がそうだろうと思われます。が、同じ時代に漢字文字圏は活字しか持っておらず、個人レベルでは均一に並んだ機械的規則的な文字は作成できないので、手描きよりも機械的な美に憧れた模様です(1925年萩原恭次郎『死刑宣告』など)。もちろん未来派やロシア構成主義の影響の強いマヴォは、単純にアポリネールとは比較できませんが、文字の意味をすでに失って単なる記号としての長い歴史をもつアルファベット文字と、文字自体の美意識が込められたアラビア文字や漢字・かなの手描き文化では、人間の心における文字の位置づけが異なります。Aという文字をタイピングすることと、学校の書道の授業で「あ」を墨と筆で書くことは、心のスタンスも身体の運動性も異なります。この差異が、後に新国誠一作品がアルファベット圏で羨望の眼差しを受ける要素のひとつです。
 
自分のことに戻ると、私は80年代から視覚詩展に参加するようになりました。そして北園克衛主宰VOUに所属していた高橋昭八郎たちの作品を間近で見て、彼らの業績を直接知ることになります。特に高橋や藤富の詩のパフォーマンスは詩を立体的に感じさせ、詩に関心のない市民たちも楽しめるものでした。紙のお面をかぶる、ポケットから紙を取り出す、紙を破る、傘を開く、など簡単な道具で手品のような詩がポップアップするのです。演劇的というよりは、二度と同じことが起きないハプニングス的なパフォーマンスです。
 
また1997年よりパリ11区にあるギャラリー・サテリットにおいて、1年半に1度のペースで日本視覚詩展がスタートしました(2019年で14回目です)。画廊オーナーのブルーノ・メゾン&河津真理恵夫妻の尽力による、高橋昭八郎、伊藤元之、藤富保男の企画です。向井周太郎や吉本直貴、羽原粛郎らも出品し、近藤修一郎の小さな立体作品もあり、國峰照子や藤富、高橋らの、楽器・音声・アルミ箔などを使ったパフォーマンスに、パリっ子たちは大喜びでした。現在は東大准教授であるマリアンヌ・シモン=及川も新国誠一とピエール・ガルニエの研究の傍ら、通訳などでお手伝いいただきました。次回は、2019年11月16日から12月7日、日本から31人の視覚詩を集めて開催されます。
 
パリでの展示を継続するうち私は次世代の視覚詩人として認められるようになり、イタリアのサレンコ、フランスのジャン=フランソワ・ボリィ、ジャック・ドンギーらと視覚詩の交流が始まりました。北園と交流のあったボリィとは朗読共演しCDも製作してもらいました。新国と一緒に活動した藤富、吉沢、高橋らから知己を得ていた私はごく自然に音声詩と視覚詩の両方を実作・実演するようになりました。2000年を過ぎたころには、フルクサスのアーティストである、靉嘔、塩見允枝子、ベン・パターソンと直接交流するようになり、エメット・ウィリアムスの作品を翻訳したり実演し、憧れのヨーコ・オノ作品を和訳するチャンスも得ました。
 
日本語で書く行分け詩から、世界言語である視覚詩へは遠い距離があるように見えるかもしれませんが、私にとってはごく自然です。大学の卒論で選んだE.E.カミングズの詩は、つきあえばつきあうほど、読み解くのが面白く、日本語に翻訳する不可能性も含めての楽しい謎です。たとえばカミングズが書く「chIld」表記を「仔」のニンベン部分を大きくして対応させたい(カミングズの意味は子どもの中にもオトナとしての人格がちゃんとあるという意味で表現している)とか、春という文字の中にあるバネという意味(英語のspringには春とバネの意味があります)をどうやって重ねるか、とか、楽しい悩みです。春という文字の横棒をねじねじのマキマキで書いてみたらどうだろうか?など、発想は視覚的な遊びに発展していきます。
 
新国とカミングズの共通点は、イノセンスだと思います。知識とか意味とか、学校で教わった情報をゼロに戻してまっさらな視線で文字や単語を見てみることです。たとえば、カミングズでは、草むらの中から何かがとび出してきた、何だろう??と不思議に感じるプロセスが、grasshopper(キリギリス)のスペリングがバラバラに断片的に浮かび上がってくる認識の推移が書かれています。新国では「雨」という文字から「、」だけが取り出されて、どの国の人でも雨が降る風景だと理解できます。異文化とかグローバルとかグローカルとかのお題目よりも、ポエジーの核心を、装飾なしで無心に提示することが言語の国境を超えるのではないでしょうか。時事的なトピックに関心が向くのは当然だけど、時代と状況から自由でいる部分を同時に持っていたいと私は考えます。なお、文中の敬称は略させていただきました。

【プロフィール】
詩人。北海道岩見沢市朝日炭鉱の生まれ。明治学院大学と東洋英和女学院大学大学院で、アメリカ現代詩と女性学を学ぶ。ビートやフルクサス、詩とアートの評論、カミングズやギンズバーグの訳詩、ヴィジュアル詩、音声詩など多数。靉嘔・塩見允枝子作品とフルクサスのピース演奏、ヨーコ・オノ作品翻訳など。
著書・訳書(共著共訳を含む):『ビートとアートとエトセトラ』『詩を呼吸する』『カミングズの詩を遊ぶ』『メディアと文学が表象するアメリカ』『そのままでいいよ。。ジャック・ケルアックと過ごした日々』『北園克衛の詩と詩学』『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内』『私は母を産まなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ』『ギンズバーグが教えてくれたこと』『月の背骨/向う見ず女のバラッド』

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