アーカイブ2・ 若冲連作詩「綵歌」

*6月

「髑髏」
                   ー伊藤若冲「髑髏図」

                              河津聖恵

闇に繁茂する真白き花々を描き終えた絵師は
ややあって同じく闇に浮かぶ
真白き髑髏を描こうと思い立った
四十八の花を描きつづけた疲労からか
花鳥風月への憎しみがひそかに高まったか
非在の花々の非在の花弁が散ると
非在の非在として現れてきたのは、髑髏だった

その時絵師がふぃっとくちびるを鳴らした
昼と夜は反転し
庭の葉々から虫喰い穴が次々遊離した
紙に降りる筆先に
穴は無数の黒星となって蝟集し
ついに髑髏が眼窩の中心から描き出された
筆に宇宙の圧が掛かり
黒は宇宙の底へと深まり
描き出した絵師はもう闇の冷たさだったろうか 
それとも
まだ人の果てとしての髑髏の悲しみの側にいたか

闇に浮かぶ二つの髑髏には
たしかに不思議な意志がある
生きようとするでも死のうとするでもない
どこまでも存在してやる 
蹴られれば転がってもみせようと
欠け残った歯で闇の端を噛んでいる
四つの穴は漆黒の高貴を増している
髑髏は泣いてなどいない
見る者が吸われるほど見事に広がる無の鏡のごとき闇を
その存在からあふれ出させている


 
この世からごろんと捨て置かれたものが恋しくて
絵師はさまよい歩いていた
気づけば刑場近くの竹林で
風が吹き声々がざわめいた
この世からごろんと捨て置かれて
絵師は竹林の闇へ一人分け入っていった



*5月 
    「紅の匂い」
               ー伊藤若冲「南天雄鶏図」
                             
                              河津聖恵
                         

絵師とは画業の果てに死ではなく
闇に燃えおちつづける
熱い火種となることを選んだ者 
みよ 彼は今もここにあかあかと生きて  いる
漆黒の脚で大地をふみしめ
虚空をふりあおぎ
軍鶏はちからづよく言挙げをする
彼方でまなざしに照応する赤色巨星は描かれていない
外の外の宇宙に
それはいまもふくらみ赫き いのちを渇仰する

わずかにひらく嘴が不思議な笑まいを含み
三百年の空気を共振させる
ふいに漆黒の尾が打ち振られ
中空から南天の紅がずっしりと呼びよせられた
鮮血―
果てなくめぐるものに挑みつづけた軍鶏の
ついに あるいは
ふたたびの永遠の正午 
無量の実と共に鬨の声をたかだかと上げるそれは
一瞬の戦争
あるいは天地開闢
気配に気づいた者だけが絵を「見る」のではなく
色を「聴く」
黒の身じろぎと紅の匂いに
(色は匂い 絵師はそれを神気と呼んだ)
抱かれながら

偽りの世にみずから盲い 
軍鶏の生命にまなこをみひらき
世の闇に生きる痛みをおしのべた
絵師のまなざしが
今いきものからあふれる光の辰砂に埋められていく

*4月
4月

「霏霏」
                             河津聖恵

霏霏といううつくしい無音を
とらえうるガラスの耳が
多くのひとから喪われつつあった時代
ひとひらふたひら
空が溶けるように 今また春の雪は降りだし
この世の底から物憂く絵師は見上げる
見知らぬ鳥の影に襲われたかのように
煙管を落とし 片手をゆっくりかざしながら

雪片ははげしく耳をとおりすぎ
ことばの彼方に無数の廃星が落ちていく
ひとの力ではとどめえない冷たい落下に
絵師は優しく打ちのめされる
愛する者がはかなくなって間もない朝
この世を充たしはじめた冷たい無力に
指先までゆだねてしまうと
庭の芦の葉が心のようにざわめき
この世はふいにかたむいた
雁がひとの大きさで墜落し
風切羽を漆黒に燃やして真白き死をえらんだ

笑うように眠りかけて指先はふるえる
乾いた筆が思わず
共振れする 霏霏
「見る」と「聞く」 「描きたい」と「書きたい」
ひえびえと裂かれていく深淵に雪はふりつむ
眠りに落ちた絵師は
ついに胡粉に触れた
骨白に燦めく微塵の生誕を見すごさなかった筆先   
         
   *伊藤若冲「芦雁図」

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