コトバトモノの祝祭       

               ー富士原清一から山本育夫へ

                                     河津聖恵

   詩とは書くものか。それとも作るものか。最近そんな問いをめぐって考えることが多い。答えは二つが重なり合うところにあると感じるが、いずれにしても、詩書き、あるいは詩作者とは、書くまたは作るという行為なくしては存在しない。書くあるいは作るその時だけ、つかのま、それは非日常の裂け目の中に現れて消える。何の特権もなく、どんな自己承認とも無縁な存在なのだ。詩が個人の属性であるかのような「詩人」という称号では、決してとらえられない。
   さて、そのような行為者としての詩書きあるいは詩作者は、詩作という行為で何と関わろうとするのか。それは当然意味ではない。あるいは抒情でもない(たとえそれが結果として滲み出るとしても)。それは端的に、物、なのではないか。このHPをきっかけに、「詩と絵のあいだ」という視点を意識して詩を考えるようになってから、私はそう思い始めている。


   
  最近刊行された富士原清一『薔薇色のアパリシオン』に、こんな言葉がある。

「ポエジイへの態度はつねにポエジイへのクリテイシスムに於て始終する。そしてこのクリテイシスムの発展は具体物ポエムに依つて客観的に示される。エスプリ・クリテイックの発展。物質の永遠の飢餓を反映せるエスプリの矢は人間の歴史を縫ふて走る。」(「詩に対する態度」)

   最後の一文がずっと気にかかっている。この言葉自身が私の琴線に触れ去った「エスプリの矢」だと言ってもいい。「物質の永遠の飢餓を反映せる」という魅力的な謎の言葉で、富士原は何を言いたかったのだろう。この文言は、富士原自身の詩の核心をおのずと語っているはずだが。
   この文章は1931年に書かれた。1930年代は、軍靴の音が高まっていった時代でもありながら、技術や産業が発展し大衆消費社会を生み出した時代でもあった。この時代に詩を書いた(または作った)富士原の詩は、電気や電灯や電車といった物質の煌めきをどこか反映している。ある側面ではモード的な、だが本質的には物質に向き合って言語感覚を研ぎ澄ませることで、新たな詩性を獲得しようしているように思う。まさに戦間期のはかない繁栄と深刻な危機が生み出した詩書き(また詩作者)である。
  そんな時代の感受の中から富士原が掴み取った詩の定義が「物質の永遠の飢餓を反映せるエスプリの矢」だ。飢餓を抱え続けているのは、人間ではなく物質だという。それはどういうことか。
  私はこう読み解く。近代以降、人間の道具として仮死状態にさせられてきた物質が、初めての世界戦争による破壊によって覚醒し、主体となった。それと同時に日常の事物も廃墟の瓦礫と遥かに共鳴して、人間に対し認知と表現を求める飢餓を見せつけ始めた。そのすがたは、無意識や夢に詩の力を汲むシュルレアリスムの言葉に、つかのま映じるー。そう富士原は言っているのではないか。物はいつも飢えている。何かを訴えている。無意識や夢の中で、死者と共に。その(無)声に人間の言葉を共振させるのが、詩なのだー。
   あるいは、死にかけた記号となった言葉もまた、蘇るために物と出会いたい、あわよくば物になりたいと飢餓しているー。
    富士原は社会や時代が映り込んだ自己の美的感覚を基点に、透明なオブジェのように「詩を作った」のだと思う。そのような意味での詩作者富士原の詩の美しさは、日本のシュルレアリスムにおける奇跡と言えるだろう。


   
  最近活動を再開された山本育夫もまた、「詩を作る人」だ。物と向き合うのと同じ次元で言葉と向き合っている。同時に自分自身の存在も、言葉と物と同じ次元に浸からせていく。私にとって今最も気になる詩作者の一人だ。
    山本の『博物誌』を初めて手に取ったのは、1980年代の終わり頃だった。まだ渋谷パルコに詩書専門店「ぱろうる」があった時代。あの店内の暗さと詩集の紙の匂いと、『博物誌』は記憶の中でまさに物質的に重なり合うのだが、じつは私が『博物誌』を手に入れたのは「ぱろうる」でではなく、ある人から貰ったものだった(もしかしたら借りたのかも知れない、と今頃になってふと不安になるー)。いずれにしても今手元には見当たらないそれは、当時の広告文化をどこか反映しつつもそれにカウンターする挑発的なアートとしての存在感で、今でも記憶の底にくっきりと影が残っている。

そこには言葉の蓋が付いている
蓋っ、、
とそこに、蓋っ、と貼り付いている、紛れも無い、蓋っ、つっつっつっ、、つっつっつっつッ、と近ずいて手を、触れる、手、触れる、手っッテッ   そこには、記されている、これはどういう蓋、なのか、その二つの文字は、事実、蓋らしき物質の上に、フタッ、フタッ、ととどめのように、記されていて、近ずけると、軽い、酸性の腐った臭いがする、その物質の表面を、へこませて成り立っている形が、蓋っ、蓋っ、と近ずいてくる仕掛なのです。(「地下」冒頭部分、『新しい人』。なお原文と行の字数は異なる)

   今回簡易版として出た詩集『新しい人』に収められたこの詩を見てあっと思った。30年以上前に『博物誌』で読んだ詩だ、と思うまもなく「蓋っ、蓋っ、」「フタッ、フタッ、」という「物」の(無)声が迫って来た。30年以上の時を突き抜け、生き物としての言葉の生命の激しさが、視覚と聴覚に迫って来たのである。あるいは30年以上もの間、「言葉の蓋」の文字「蓋」あるいは音声「フタ」はそこに待ち伏せていたのかも知れない。さらに誌面から飛んでくるのは、激しい無声「っ」「ッ」の礫だ。読点「、」や棒引き「ー」も、視覚と聴覚に小さな虫のうごめきをもたらす。反復される擬声語と共に、それらは『新しい人』に収められた全ての詩の特徴だが、とりわけこうした視覚的で聴覚的な仕掛けは、集の後半部にある「花児」の連作詩で、謎の男児「花児」の生命のエネルギーと共振し、非常に効果的に使われている。

花児のばやいね、やばい、、、
花児の大きな、花、鼻じ、ブッ
ハナジの話、(いつも一人でね、、隅の方でね、、
花児の事を考えると、、、辛い、辛くなる、
(懸命で、
ハーモニカ吹いていたこと、
あったね
ビュイビュービュービュブブブブウウウウイ
                             (「悲しみ」部分)

 この詩で「花児」とは「鼻血」を掛けている名前だと分かる。花児とは恐らく、擦り傷の絶えない永遠の子供、あるいは作者の分身なのだろう。詩を作る人の中の、詩を生きる子供。詩を生き続けようとする生命の化身。 花という文字には喜びや祝福を感じさせる。この花児は先の「蓋っ、蓋っ」「フタッ、フタッ」と迫る「言葉の蓋」と、間違いなく同じ種族である。
  「言葉の蓋」は言葉があるところにはどこにでもある。同様に「花児」もまた、詩を生きようとする欲望がある限り、どこにでも現れる。両者はいつでもどこでも蘇る。「蓋っ、蓋っ、」「フタッ、フタッ、」という(無)声を上げる言葉の蓋の、「咲いた咲いたの、花児じゃぞいっ」と歌う謎の子供は、先の富士原清一の「物質の永遠の飢餓を反映せるエスプリの矢」という詩の定義にある「エスプリの矢」と、同じ方向へ飛んでいく。あるいは今や矢はどこかで折れてしまっているとするならば、「言葉の蓋」と花児は二人して、新たな矢になろうとしているだろう。言葉と物のはざまにざわめく「飢餓」を、エネルギーにして。物になりたい言葉と、言葉になりたい物の「飢餓」が衝突して生まれるエネルギーが、詩を生み出し、そのエネルギーによってエスプリの矢は飛んでいく。歴史を回避することなく、突き刺ささって果ててしまうこともなく、歴史を鮮やかに縫い、歴史という「物」のすがたを一瞬つかみとって、閃きながら。



   今年8月、二十年ぶりに出た『博物誌』39号には、雨宮慶子による山本へのインタビューと、書き下ろし詩集「HANAJI」が収められている。「HANAJI」はまさにビジュアル詩としても、非常に美しく興味深いものだ(本HPのゲスト欄に、山本さんの文章と共にアップしているのでぜひ見てほしい)。インタビューには、ここで述べて来たような、言葉と物への関心が山本詩の根源にあることを、窺い知ることの出来る発言が多々あって興味深い。山本育夫が、いかに「言葉と物」のはざまで詩を生きる詩作者であるかがよく分かる。「言葉と物」というテーマは山本さんの生の危機意識によってさらに深められている。富士原の言う「ポエジイへのクリテイシスム」が、「言葉と物」との関係においてつねに生成され、そこから「エスプリの矢」が放たれてくる。「エスプリ」とは日本ではもう余り耳にしなくなった言葉だが、フランス語で「機敏にはたらく才知」。さらに魂という意味もあり、物質という意味のマチエールと対比で使われるという。物の飢餓をキラリと映し出し、歴史の中を縫っていく知性あるいは魂の存在を、山本詩と富士原詩は確かに共有している。
   そもそも物につきあたろうとしない言葉に、エスプリは宿らない。詩としての自律性よりも「私」の物語、つまり人生の意味を詩の根拠にしてしまう詩には、「私」の権力はあってもエスプリはない。日本の詩に今も昔も欠けているのは端的に、物と相対することから生まれるエスプリではないだろうか。物の(そして言葉の)飢餓を、「私」を透明化して感じ取ることではないか。


   
  詩は書くものか。それとも作るものか。富士原清一と山本育夫が共有する境地でそれは、生まれる、というのがふさわしいように思う。まだ聞き届けられていない物(と言葉)の飢餓、から今この時に生まれるいのち。その一滴のしずくが映し出す世界の湾曲。富士原はガラスの言葉のシュルレアリスムでそれを直覚して描き出した。山本の書き下ろし詩集「HANAJI」でそれは、ビジュアルと言葉のはざまで像を揺らせている。
    この世界はじつは今見ているすがたとは違う。人が言葉を持つかぎり、言葉と物の飢餓が生み出すしずくによって、世界はそれぞれに湾曲している。その世界の湾曲を素敵に垣間見せてくれる詩作者を、本当は何と呼んだらいいのか。

角を曲がると
ゆっくりと風景がついてくる
少し遅れてそこに取り込まれた
歩行者たちの顔も
ひしゃげて
いくつもいくつもついてくる
それらを水飴のように
こねくり回しながら
男はいま口の中にほおばった
ほおばった
                         (「曲がり角」全文)
   
駅前にある黒くて細長い巨大な容器の内側からあふれ出しているそのあふれは、遠い山岳のひとしずくに由来し、はるばるここまできた、そして、熟成したことばになって地中深くから湧き出しているのだその午後にも、男はその水を飲み下し軽いゲップをする、くちびるに小さい、っの字をひっかけたまま
                  (「小さい、っの字」全文)


   
  富士原は生前一冊の詩集も出さなかったが、「襤褸」という同じ題で短い詩をノートに書き溜めていたという。1935年にこのうちの一篇を雑誌に発表してから、自作詩の発表は途絶し、戦争末期の1944年召集され、戦死する。今読める「襤褸」の詩群からは、死の予感と生への非望が切実に伝わってくるが、それでも言葉と物の飢餓を手放さず、詩を日本ではありえないエスプリで切り開こうという意志に貫かれている。そしてそこには確かに山本育夫の詩と響きあうトーンと質感がある。
   山本育夫と富士原清一という二人の詩作者の世界を80年の時の隔たりを近づけ重ね合わせてみれば、そこに浮かび上がってくるものは、何だろうか。言葉と物はどのような生命を炙り出されてくるのか。生と死、社会と歴史が「言葉の蓋」を外し、ネガから立ち上がるコトバトモノの祝祭を見てみたい。

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