詩「蘿蔔と西瓜」をめぐって

            河津聖恵

「果蔬涅槃図」もまた、2016年に京都国立近代博物館で開かれた若冲展で、初めて出会った一幅です。つよい印象を与えられた作品の一つですが、そうした作品に限って記憶の中では、見る人も少なく自分だけが向き合っていたように思えてならないのが不思議です。
 白とグレーと黒だけで描かれたこの墨絵は、色鮮やかな動植綵絵を見た後の目を、ひんやりと吸い寄せるものがありました。この絵は仏の涅槃図を果実や野菜で描いたパロディにも見えますが、実際見てみるとおかしみよりも無彩の厳粛さ静けさの方が優っていてます。二股の大根から放たれる純白の光は目に眩しく、野菜のグレーと黒の濃淡からは生々しい水気が皮膚に直接触れてくるようでした。
 涅槃に入った仏である大根を、嘆き悲しむ動物に見立てられた果蔬たちの墨の濃淡は、哀切を感じさせながら華やかで、「かれら」息遣いやざわめきが無音のまま伝わってくる気がします。見続けていると、小さな果蔬たちまでもが、感情を持って身じろぎするような生命感に圧倒されます。
 野菜たちの一つ一つ名前を確認していくのも楽しい。玉蜀黍や柿や蕪や冬瓜といった身近な野菜に混じって、小さな芋虫みたいなチョロギもいる。これは最近薬効が注目されたようで時々売られているのを目にしますが、私にとってはいまだ珍しい野菜です。遠い日に一度だけ味わったカリッとした歯応えが蘇ります。これが若冲の時代にもあったのだなあと思うと、何だか嬉しくなります。食感や味覚は時空をとびこえていく。
 もちろん若冲の実家の青物問屋では、当時珍しかったものも色々並んでいたことでしょう。「果蔬涅槃図」には今でも八百屋で手に入りにくい松茸や慈姑や百合根なども描かれています。絵師は手に入るかぎりの滋養あるものを写生し、大根の入滅を荘厳しようとしたのでしょう。
 佐藤康弘さんは『若冲伝』の中で、この絵は、一七七九年に八十八歳で亡くなった若冲の母を供養するために描かれたのではないかと推測しています。また「二股大根」は女性の隠喩(生殖・豊饒の寓意)になりやすいそうです。それゆえ「この画が母の死を記念すると同時に、その成仏と引き換えに青物問屋がいっそう繁栄するよう願いを込めている、と当時の人が理解するのは自然だったろう。」としています。
 そのように、青物問屋の繁栄の願いを込めた亡母への供養としてこの絵を見てみると、紙に塗り残された余白は輝きを増していくようです。若冲が好きな私は、墨に水分を含ませて描かれた淡墨の部分には、もしかしたら彼の涙も混じっているかも知れない、とさえ思ってしまう。まさに妄念ですが、自分の心がそのように他者に感情移入して潤っていく時が、私の詩作の始まりになるようなのです。たとえそれが思い過ごしだとしても、贅沢な詩的想像を絵から貰ったことになります。
 なお、この詩では大根を「蘿蔔」と呼んでいます。大根の漢名で、仏教の言葉でもあるようです。ただの「大根」が、絵師の母への祈りの中で、厳かに白く輝く「蘿蔔」となっていくのが、詩を書く過程で見えていったのです。

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