詩「空白の燦ー月夜芭蕉図」について

      河津聖恵

1759(宝暦9)年、44歳の若冲は鹿苑寺(通称「金閣寺」、相国寺の塔頭の一つ)大書院に水墨障壁画50面を描きます。「月夜芭蕉図」は、その大床貼付絵(おおどこはりつけえ)で、大書院の障壁画の中心的な存在です。何年か前私は、相国寺承天閣美術館に常設展示されているこの障壁画を見ました。底には同じ大書院障壁画の「葡萄小禽図」も展示されていました。控えめな照明の下で、どちらも紙の古さをあらわにしながらも、若冲の自在な運筆から絵を描く喜びが生々しく伝わって来ました。絵全体が聞こえない音楽のリズムを持っているようでした。若冲のどの絵でもそうですが、モチーフの色、形態、配置から絵を描く喜びが今もいきづき、不思議な感覚をとおし伝わって来るのです。自分が心身の奥で共鳴するのが分かります。

「月夜芭蕉図」のモチーフは、今にもざわめき出しそうな大きな芭蕉と、突き出た芭蕉の葉がその3分の1を隠している満月です。葉に隠れた月の部分は、そこで消えているように見えます。満月が葉に一部を隠され、満月の輪郭の一部が描かれていないことが、芭蕉の葉の絶妙な濃淡の筆致ともあいまって、月光の明るさをより強めているように感じます。満月の輪郭は描くというより隈取られているといった方がふさわしいでしょう。

この月の輪郭ならぬ「隈取り」は、何かとても懐かしく、記憶をくすぐるものがあります。思い返せば今よりもとても目が良かった子供の頃、そして夜空も澄んでいた時代、満月はこんな隈取りを青く煌めかせて闇に浮かんでいたのではないでしょうか。やがて近眼となり眼鏡も掛けてしまってからもうずっと長い間、満月の「隈取り」は私には見えていません。さらに「隈取り」の見えていた頃はアポロの月面着陸にも胸ときめかせていた頃でもありました。輝く満月の青みを帯びた「隈取り」は、宇宙と自分を繋げる密かな合図であるような気がしたものです。

月も余白、夜空も余白。ただ絵師の水を含ませた筆先が、淡墨をわずかに滲ませ細く細く月を隈取っていったのです。見れば見るほど信じがたい技に思えます。

「隈取る」と「描く」は技法的にも違いますが、非現実あるいは空虚を捉えうるのは、「隈取る」の方ではないでしょうか。この絵で絵師は「隈取り」という技法で、「空白の中の空白の中の空白」としての満月の輝きを現出させることが出来たのではないでしょうか。

 幼い頃の澄んだ夜空に
 円が冷たく煌めきかがやいていく
 あの空白の中の空白の中の空白
 月ーー
 だがあと三分の一というところで葉を  踏まずに
 筆はしんと止まる
    (大成は欠けたるが若く、
     其の用弊(やぶ)れず。
 大盈は冲しきが若く、
 其の用窮まらず。)

「梅花皓月図」でも満月は沢山の梅の枝に遮られています。こうした満月の描き方は、若冲という号の由来となった「老子」の一節とも関係がある気がします。

(大成は欠けたるが若く、其の用弊(やぶ)れず。大盈は冲しきが若く、其の用窮まらず。」(意味:本当に完成しているものは、どこか欠けているように見えるが、いくら使ってもくたびれたりしない。本当に充実しているものは一見、空っぽに見えるが、いくら使っても無限の効用をもつ。)

欠けることで完成する。空虚はじつは充実でもある。その逆もしかり。その逆説がこの絵の満月を隈取る筆致にも込められているのではないでしょうか。

芭蕉という植物は当時、葉の破れやすさや鬱然とした感じによって、人々に不吉なイメージを与える植物だったようです。また逆に葉の破れやすさは、勇敢な武士の生傷を想起させることもあったようです。この「月夜芭蕉図」の芭蕉もそうした不吉さや勇敢さを感じさせながらも、さらに植物としての芭蕉を超え、満月の光によってエネルギーを与えられてざわめく獰猛なけもののように見えます。

この植物をけものに変えてしまうような輝く月は、大書院の50面全体を照らし出す位置にあったようです。詩「空白の燦」は、大書院の襖の空白に呼ばれた絵師が、誰もいない書院の永遠の闇の中で芭蕉を描き、それをやがて月光で照らし出すまでを、詩の飛躍の力に想像を導かれるようにして書いた作品です。

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